名大医学部学友会時報 第635号(2002.12.22発行)より

女医訪問(10)

名古屋逓信病院 副院長・産婦人科部長 原孝子 先生(S45卒)

 

 女医訪問という企画がスタートしてから三年が経ち、十回目を迎えました。今回は昭和45年に名古屋大学医学部を卒業された原孝子先生にお話を伺いました。先生は卒業後、常滑市民病院で研修された後、産婦人科に入局され、現在は名古屋逓信病院で副院長と産婦人科部長を兼任されています。

Q 産婦人科を専攻された理由をお聞かせください。

 卒後研修で最初に回ったのが産婦人科だったのです。当時、ある程度大きな病院でも産婦人科には医師は一人しかいなくて大変でしたし、先生方が魅力的でしたので、他の科の研修中にも何かあると産婦人科を訪れており、そのまま産婦人科に入局しました。

Q 学生時代の思い出をお聞かせください。

 全学のバレーボール部に6年生まで所属していたので、鶴舞よりも東山での印象の方が強く残っています。全学の女子バレー部は人数が少なかったので、大学の試験とバレーの試合が重なった時、試合の途中にタクシーで大学に戻り、合格できる最低限の問題数を解いてからまたタクシーで試合会場に戻ったことがありました。また、西医体の男子の試合に少しだけ出させてもらったこともありました。単位を落とさずに卒業できたのは、いい同級生に恵まれていたおかげだと思います。

Q 家庭と仕事の両立で苦労されたことはございますか。

 子供は産休明けから保育園に預け、小学校入学後は学童保育所のお世話になりながら勤務を続けてきました。苦労しなかったとは思いませんが、周りの看護婦さんも同じようにしていたので、自分だけが大変なのではなく、子育てをしながら働いている女佐はみんな同じなのだと思っていました。一番困ったのは子供が病気になった時で、その時は母に助けてもらいました。今でも看護婦さんが、子供が病気だという電話が入りあわてて帰っていくのを見ると、思い出してしまいます。

Q 女性として、仕事の上でメリットやデメリットを感じられたことはございますか。

 メリットとしては、産婦人科なので、患者さんに話しやすいと感じてもらえ、患者さんの訴えに共感してあげられることです。同じ女性として、出産や子育てを経験しているからこそだと思います。デメリットとしては、育児の間は、当直や夜間の呼び出しを男性と全く同じようには出来なかったということです。これは上司や同僚の先生方に支えられていました。もし、男性と同じようにすることを求められていたら、医者を続けられなかったと思います。その分、自分が仕事に出てきた時は、他の人の分まで引き受けるくらい頑張りました。

Q 今のお仕事で、印象に残っている出来事は何ですか。

 その時ごとに色々ありますが、一つ目は卒後二年目に、小学生の娘さんがいらっしゃった絨毛癌の患者さんが亡くなられる前に、「もっと子供に色々なことをしてあげたいのに」とおっしゃったことです。それまでは産婦人科は「おめでとうございます」と言える楽しい科だという思いがあり、さらに、患者さんが亡くなる場面を見る機会も少なかったので、今でも印象に残っています。また、癌告知を求められていた患者さんに、癌の告知はしましたが、家族からの依頼でかなり進行していることを告げなかったために、亡くなられる前に「全部教えて欲しかった」と言われたことも忘れられない出来事です。このような患者さんは私にとって色々教えていただいた「先生」のような存在であり、今の私があるのもこのような患者さんのおかげだと思っています。

Q 最後に女子学生へのメッセージをお願いします。

 産休などで休んでもいい、常勤でなくてもいいから、その場その場で自分に合った道を選んで医者を長く続けて欲しいです。臨床医は女性に向いている職業だと思います。知識だけでなく、誠実さと優しさを兼ね備えている事が医者の条件だと思うので、女性の持っている良さを活かして医者を続けて欲しいです。

 

 私達が卒業して医者を続けていく上で、とても参考になるお話を伺うことができました。大変お忙しい中、快く質問に答えて下さり、ありがとうございました。

           (インタビュアー 吉田 令子)