名東医報 15号 (平成12年12月発行)より

私の入院闘病記  

      名古屋市医師会 名東区香流班 鈴木信子

 

 本年、9月21日より10月23日まで名大病院に入院・手術を受けましたため、暫くの間クリニックを休診に致しました。この間会員の先生方にはいろいろとご迷惑をお掛けしましたが、ようやく11月6日より一部夕方診察を休診にして診療を再開しました所です。今回の私の入院中の覚え書きをもとに闘病記をこの名東医報に書かせて頂きます。

 きっかけは、8月のお盆の頃に「この頃、診察中や安静時に上腹部痛がある」と言ったのを主人が気にしてすぐにCTを予約してくれたことです。私は「すぐにCTなんて」と言いましたが、「念のために検査を受けた方がよい」と主人が言うので、愛知医大メディカルクリニック(東新町)でCTの検査を受けました。主人が懇意にしている放射線科の宮田教授が立ち会ってくださいまして、「膵臓に小さいが異常陰影がある」と言われたのが始まりでした。

 「もう少し詳しく調べた方がよいでしょう」との宮田教授の言葉で、愛知医大本院でエンハンスドCTとMRIを受けました。この間、大宮市で開催された日本外来小児科学会にも参加し、長女のいる自治医大に寄ってから、日光・鬼怒川温泉廻りをしてきました。後で聞くと、主人は万一悪性の病気を疑っていて思い出作りのために主人共々の旅行計画を立てたそうです。その後、愛知医大第三内科野田助教授による診察と腹部エコーをうけました。「エコー上境界明瞭なTumorで非機能性の膵島細胞種(良性)と思うが、将来のことを考えて手術を受けたらどうでしょう」と言われ、名大第一外科二村教授へ紹介して頂きました。主人が以前に二村教授の奥様のお産を名大でしたことがあったそうで、E-mailのやりとりだけで入院申し込みが出来、病室が空くのを待つことになりました。その間に愛知医大でMRCPも受け、術前の検査をしておりました。

 私自身は上腹部痛も消えていて、入院前日の夜まで普段通り診療を続けておりました。

 入院の2日前に病室が確保できたと連絡があり、9月21日朝、主人と共に名大病院に行き、二村教授や神谷講師と主治医の東島先生にお会いしました。当日に胸部レントゲン撮影や心電図等の術前検査、9月22日に血管造影、9月23日(秋分の日)に腹部エコー検査を致しました。エコーをして下さった先生は「二村教授は今日を休日だと思っていないのだから」と言いながら時間をかけて丁寧に見て下さいました。

 手術前日の9月25日には、IVH及び麻酔科で硬膜外カテーテル留置をされ、夕方に二村教授と主治医の先生より主人と一緒に血管造影・エコーの結果と手術内容の説明を受けました。シェーマ図を書いてのビックリするくらいの詳しい説明で、やはりこの位丁寧な説明を日頃患者さんにすべきと反省致しました。

 手術当日の9月26日(火)手術室前で主人と別れて手術台に移るまではしっかりと意識がありましたが、あとの記憶は全くありません。気づいたら病室のベットで主人と看護婦さんが体位変換をしてくれていました。早期離床の方針とのことで、手術翌日にはベットより降りて2〜3m、翌々日には10m位、3日後には詰め所のまわりを一周歩けるようになりました。その後は日ごとに体力が回復してくるのが自分でもよく解りました。

 主治医の先生から「お腹が空きませんか」と聞かれて始めてずっと食事を取っていないことに気付きましたが、全く空腹感はありませんでした。主人より「IVH高カロリーの点滴で血糖が高い目に維持されているので、お腹が空かないのは当たり前。これで術後の体力低下をかなり防いでいるのだよ」と言われなるほどと納得しました。

 10月2日(月)には流動食の食事も開始され、10月4日からは点滴も通常の濃度に落ち、10月6日にはIVHも抜去されました。膵臓部分に留置されたドレーンからのアミラーゼ濃度が低下するのに時間が掛かりましたため、10月16日にようやくドレーンも抜去できました。試験外泊を経て10月23日に退院いたしました。

 入院中にビックリしたことは、二村教授は日中だけでなく、夜遅くや夜中(!?)にも手術着の上に白衣を着て回診されることでした。主治医の先生も、朝早くや夜遅くに、日に何回も、また土・日曜も普段と変わりなく回診に来て下さり、いつ家に帰られるのかと思うほどの勤務ぶりでした。日曜日朝早くに曇った空をみながら、「今日は子供の運動会ですので、夕方はこれません」と言われた時は、主人も産婦人科の勤務医で、家庭サービスがなおざりにされていましたので、「私ももう落ち着いていますので、どうぞ家庭サービスを優先して下さい」と申し上げました。その日だんだんと空が晴れ上がってきたのを見てホッとしました。平日の夜遅くに回診にみえたときに主人もいて「いつも夜遅くまで病院にみえて、家庭生活が大変でしょう」と言いましたら、「昨日は家内の誕生日でちゃんとお祝いはしましたよ」とニコニコしながら言われてしまいました。

 病棟の看護婦さんも、いつもニコニコと笑顔で親切な対応で、毎日体を拭いて下さり、また動けるようになるとシャンプーもして頂き、以前名大で長男をお産した時とは大違いの雰囲気でした。看護婦さんの笑顔に接すると、とても心が安らぐ思いが致しました。帰ったら、クリニックのスタッフに「患者さんには絶えず笑顔で接するように」と言おうと思いました。

 主人は、血液造影の時から手術後1週間までは、愛知医大の勤務を終えてから、夜間には病室のソファーで寝泊まりする生活を続けてくれました。心配して見守ってくれる主人の姿に安堵しました。長男も10月より名大の小児科へ帰局しており、診療に行く前によく病室に立ち寄ってくれました。

 いろいろな方にお見舞いに来て頂いたり、患者さんより「早く元気になって下さい」という嬉しいメッセージや手紙を頂いて、とても元気づけられました。周りの方に感謝感謝の日々でした。

 たまたま患者さんより届けていただいた『お見舞いアルバム』を見ている時に、病棟婦長さんが来て下さって「かわいいお子さん達ですね。先生の元気の元はここにあるのですね」「大学病院や大きな病院にはそれなりの大きな役割があるけれども、地域に密着した掛り付け医にもまた別の重要な役割があるのですね」と言って頂きました。これからもお父さん、お母さんが安心して育児が出来、お子様達がすこやかに成長するのを手助けできるような地域医療に心がけていこうと思いなおした入院生活でした。

 名古屋市医師会と愛知県保険医協会の休業保険に入っていたため、思いがけなくも保険金もおり、無収入な1ヶ月半の生活費の捻出もできました。やはりこの様な保険には、万一のことを考えて入っておくべきだと思い直しました。

 主人が当院のホームページ上に今回の入院生活や手術所見などを「情報開示の時代だ」と称して勝手に載せてしまいましたが、逆に患者さんからは「インターネットで見ました。病状が良くわかり、元気になられて安心しました」とおっしゃって下さる方もけっこう多くて、本当に世の中が変わったと感じております。

 今回の入院のため学校医の引継ぎの件で、名東区医師会長の中村俊郎先生と沢田収先生に、また保険医協会の休業補償の手続きで名東区前医師会長の判治哲夫先生にいろいろとご迷惑をおかけしました。この紙面をお借りしてお礼申し上げます。